談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4361 一遍と峰翁祖一をつなぐ毛利氏の謎 maru阿弥 04/05 11:20
峰翁祖一が何ゆえ、河野氏に招かれたのか、その謎の一つに毛利氏が現れてきました。
一遍と峰翁祖一、ともに毛利氏を母とする話が伝わっている。河野通有、通盛ともに、この峰翁祖一の出生の秘密に、一遍との関連性を感じ取ったはず。また、 河野氏との親密性も感じ取ったのではなかろうか。毛利氏と河野氏は、鎌倉時代より不思議なつながりを伝えておられます。
4362 教えてください mino阿弥 04/05 14:33
デジタル岩村町史によれば、(「海蔵寺文書」博多崇福寺三世峰翁祖一禅師・・北条時宗の実母は最明寺時頼(北条時頼、建長寺建 立)の妾にして毛利蔵人の娘なりしが時宗の嫡母北条氏(重時女)に養われて家督。時宗の実母毛利氏は、後北条義宗に嫁し数子を挙ぐ。禅師は時宗と異父兄弟 なり・・延元二年九月二十一日大円寺にて遷化。)とされています。ということは峰翁祖一の父は北条義宗であろうかとも推測されます。北条氏、毛利氏、河野 氏、遠山氏、土岐氏との関わりを考えると頭がパンク状態です。「明智氏一族宮城家相伝系図書」によれば土岐光衡の母は宣能卿女白河局、土岐光行の母は武田 基義女、土岐光定の母は千葉常胤女、土岐光包の母は三浦義村女、土岐頼貞の母は北条経時女、土岐頼清の母は佐々木頼綱女とされ鎌倉幕府重臣達の結びつきが 見られます。北条、毛利、河野氏のいまだ解明されていない関係が禅を通して見えてくるのではないかと思います。
4365 一遍、峰翁祖一の時代、毛利の名は禁句 maru阿弥 04/06 19:29
峰翁祖一の資料が少なく、難儀をします。
一遍、峰翁祖一、共に毛利季光関連の娘を伝えておりますが、当時は毛利氏に縁があったということは、宝治合戦・謀反人の子孫ということで、タブー視されて いたと思われます。それをあえて伝えていると言う事は、なかなかに勇気がある。
これは、北条時宗の母に関しましても、一説では毛利氏とはっきりしません。
また、峰翁祖一の父とされる北条義宗も、妻の名がはっきりしていません。
毛利季光の娘をかばうような、動きとも感じますが、当時の体制側にとっては毛利の名は禁句、そのあたりの複雑さが、一遍、峰翁祖一の記録に感じられるので すが。
資料不足で、難儀します。
コメント
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