談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4251 大通寺・宗昌寺・善応寺 mino阿弥 03/06 11:50
大通寺は河野通朝開基、大暁禅師開山。また、明応年間に河野通宣の招きにより玄室守腋が来住し中興開山として再興したとされてい ます。宗昌寺は正岡氏が建立し大蟲禅師が開祖とされています。また(善応寺は明智庵のあとに再興した。石丸邸の裏山から善応寺の石経が発掘された。)明智 庵とはなんでしょうか?また、美濃に出名する石丸氏は「舟田の乱」で八代守護土岐成頼の庶子土岐元頼に味方し敗れた小守護代であり相当な勢力がありまし た。飛躍的ですが土岐明智氏または遠山明智氏、石丸氏のような美濃の武士団が峰翁祖一に警護のため随伴して伊予に土着したやもしれません。伊予サイドから も検証お願い致します。
4252 通盛を助けた建長寺ゆかりの寺 maru阿弥 03/06 13:40
明智庵ですか? 善応寺の中の一つの庵と聞いておりますが、美濃の明智とつながりますか。石丸氏もでてきますか。
善応寺は、東福寺を模したといわれ、河野郷全体が善応寺といってもいい位の広大な寺だったようですが、ほとんどは焼け落ち破壊され、その中の一庵に現在の 善応寺が再興されたようです。
善応寺は、円爾の東福寺派ですから天台宗の密教学も尊ぶ、兼修禅、教禅のため、さまざまな庵が立ち並び、みょうち、明智庵もその内の一つだったのでしょ う。どことなく、天台宗的な響きも感じます。
ちなみに、河野氏ゆかりの大通智勝仏は、天台の法華経と深いつながりが有るようですから、天台宗と友好的な禅、東福寺派が、河野氏の禅の大伽藍のトップを 飾ったのも自然でしょうし、東福寺から鎌倉建長寺におもむいていた、南山士雲に通盛が助けられた事への恩に報いたのでしょう。
つづいての、大通寺は純禅の大応派ですが、これも通盛が、鎌倉建長寺にて、命を救われた事に対する、恩返しの意味も見て取れます。大応派(南浦紹明)の ルーツは鎌倉建長寺の蘭渓道隆ですから。
善応寺も大通寺もともに、通盛を助けた建長寺ゆかりの寺であります。
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