談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4230 岐阜岩村町名に河野氏ゆかりの痕が maru阿弥 03/01 13:00
岩村町の地図を見ていますと、大通寺という地名が残っていますね。
大通寺の意味の分かる方が、岩村町にも居たと言う事ですね。
どなたが、残したのか? 町名の由来はなになのか?
それと、岩村町の近くには明智鉄道や明智の地名がありますが、
これは、光秀さんと関係ありますか?
4232 よくわかりません mino阿弥 03/01 15:07
私も気がついていましたが、なんとも調べようがありません。おそらくmaru阿弥師ご推察の通りだと思います。「美濃国諸家系 譜」によれば加藤、遠山氏も鎮守府将軍藤原利仁を祖とした加賀藤原姓の系譜であり、遠山氏の祖は加藤景廉(源頼朝重臣)五代遠山五郎某の次男として遠山家譜の最初に書かれています。「某 遠山加藤五郎美濃国恵那郡住人住恵那郡遠山ノ庄因為氏」「諱」がわからないため「某」としてあるのだと思います。遠山氏 には根尾長山遠江守源頼基の末子が養子となっている方があります。明智氏からも嫁いできており、土岐明智氏とも姻戚関係があったようです。明智氏の祖が長 山遠江守であれば遠祖は同じであり、所領も近く通婚関係は当然あったものと思われます。「明智氏一族宮城家相伝系図書」によれば土岐頼清次男として頼兼。 土岐明智次郎本名頼則或は頼重、美濃国可児郡明智城主、康永元年(1342)可児郡明智の里に於いて初めて築城。因用地名氏号。土岐明智次郎兵庫助頼兼明 智家の始祖也。「下 土岐明智次郎下野守頼兼 美濃国可児郡一圓土岐郡妻木笠原曽木細野柿野多芸郡春木飯木祖父江大塚石津郡徳田多良勝屋尾張国海東郡萱津 甚目寺岩塚武蔵国荏原郡大森、大井不入討荒井下総国葛飾郡新井押切高根平田等城地頭職之事 右件所為勲功之賞所宛行也者守先例宜致沙汰如件 文和四年十一 月六日尊氏」所領一万五千貫為七万五千石。このほか土岐明智氏と遠山明智氏があったとする説もありますが、よくわかりません。熱心な方を見つけないとなか なか解明できないと思います。
4233 大通寺という地名、日本でただ一つ maru阿弥 03/01 16:29
mino阿弥様、詳しい御解説・ご資料有り難うございます。充分、研究させて頂きます。
大通寺という地名、ほんとうに不思議です。日本広しと言えども、美濃の岩村町にしか無い。
これはまるで、美濃・岩村町は大通智勝仏のメッカなり! 越智氏・河野氏のメッカなり、と言わんばかりの地名です。
伊予の越智氏・河野氏の上を行かれている。
峰翁祖一(大暁禅師)の大円寺は消えたが、峰翁祖一(大暁禅師)ゆかりの伊予河野郷の大通寺の名は、残ったということでしょうか。あるいは、河野郷からお もむいた、禅僧達が古里をなつかしみ、付けたのでしょうか。とにもかくにも、大通寺というおそれ多い地名を名乗るのは、日本では、岩村町のみ。それも町の かなり中心のようですから、町名を付けられた方は、かなりの思い入れガあったことが、想像できます。
コメント