談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4220 岩村城と湯月城は、姉妹城、ダブル金メダル maru阿弥 02/27 14:04
驚きですね。名城100選入りの、岐阜・美濃の岩村城は、遠山氏ではありませんか。遠山氏と言えば恵那市岩村町、美濃の大円寺を 築いた方。美濃の大円寺の名僧、峰翁祖一(大暁禅師)が通盛、通朝の招きで、伊予の河野郷へ来られている。さらに、峰翁祖一の法嗣・大虫宋岑が伊予に来ら れ、峰翁祖一(大暁禅師)は、美濃恵那市岩村町へ帰られている。そして、峰翁祖一(大暁禅師)が美濃岩村で亡くなった後、美濃大円寺の月菴宗光は、峰翁祖 一の法嗣・伊予の大虫宋岑を頼って、美濃大円寺から伊予・河野郷へやって来られる。名城100選の岩村城と湯月城は、美濃恵那市岩村町・大円寺の名僧達を よーく、知っておりますよ。岩村城と湯月城を結ぶは、美濃の名僧達であり、岩村城と湯月城は、姉妹城と言っても過言では無いくらいです。姉妹城、ダブル金 メダルです。
デジタル岩村町史は、なかなか立派な研究だと思います。しかし後世それが、まったく生かされていません。岩村町にもメールしまし たが、何の反応もありません。熱心な方がおられないのだと思います。私自身は、これはひとつの観光資源でもあり、この解明を機に岩村町と伊予の交流が中世 以来復活できればおもしろいと思いましたが。残念です。人を得ることができないということにつきると思います。大虫禅師も伊予では銅像まで建てて頂き大事 にされていますが、美濃ではなんとお粗末なことでしょう。残念です。腹が立って寝られません。
4223 岩村城を拝見のこと 遊行笑人 02/27 21:38
mino阿弥さま、見せて頂きました!・・・鎌倉時代からの城跡・見事の一言。驚きました!
標高伊予の高縄城以上の高さ!山上の城。・・・此れゾ!歴史に残す名城也。
河野通清・通信親子も大層お悦びかと!・・・正しく姉妹・兄弟の契りならんか。・・・女性の城主の悲話も、愛媛の結われによく似たり、三島の鶴姫、通有殿 の奥方と相対して見劣りする事は禁句也・・・通時殿の姫様も涙する哀れを誘う昔話。城郭の史跡は挿すが日本の名城100選の姉妹也の感。今後は是非姉妹都 市の提携が出きれば宜しゅうござる。 楽しみですなぁ!
是非、御尽力をくだされ。燃しも繋がれば早速笑人、縁組の仲人役を財団法人日本城郭協会に進言挿せていてもらいますぞ!・・・如何で御座ろうか?
4224 岩村の大円寺と伊予の大通寺の文化交流 maru阿弥 02/28 11:41
そうですか。岩村町はおとなしいですか。大円寺も廃虚となっていると聞きますから、1300年代の伊予・河野氏との交流の歴史が 消えてしまったのかもしれません。それにしても、岩村町の大円寺と、伊予の大通寺がかなりの人的交流があったことが、はっきりと見えてきました。峰翁祖一 (大暁禅師)が、河野通有とともに、博多で南浦紹明(大応国師)に学んだ縁で交流が始まったやに聞きますが、詳しい事がまだ見えてきません。河野通盛・通 朝親子は、通有の縁を頼りに、日本を代表する名僧を美濃から伊予に呼ばれた。伊予の代表としての宣言の意味もあったのでしよう。伊予と美濃の間の太い文化 交流のあとが、今回、名城100選入りという形で蘇るとは歴史の不思議を感じます。峰翁祖一(大暁禅師)を美濃に帰される時は、かなりの河野氏ゆかりの禅 僧達が警護も兼ねて、移動した事でしょう。河野氏ゆかりの禅僧達が、美濃に修行のために入っていった事も不思議ではありません。当時の伊予の禅のメッカは 美濃の大円寺であったことまで想像できます。
4225 大円寺跡は竹薮 mino阿弥 02/28 13:31
大円寺跡は竹薮だそうです。発掘ぐらいしてもよさそうなものですが残念です。大円寺の開山は建武年間(1334~1337)。峰 翁祖一師は延文二年(1357)八十四才寂(別説九十八才)。大通寺開山貞和年中(1345~9)。ご推察の通り河野氏ゆかりの禅僧や武士達が警護で随伴 したのは必然と思います。また美濃からも、その逆があったと思います。美濃における伊予河野氏の伝承は史実にもとづいた整合性があるわけです。こんなすば らしい史実があるにも関わらず、なぜ研究されないのでしょうか?美濃と伊予河野氏の関係を示唆する論文は石野弥栄氏の論文のみであり美濃の研究者の論文は ありません。岐阜県史を書き替えなければならない手間ひまを厭い「美濃国諸家系譜」の存在を知りながら無視したほどですから押して知るべしです。あとは maru阿弥師のご研究に期待するばかりです。伊予から岩村町に発信して頂ければとも思います。こうなれば外圧を期待するばかりです。
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