談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4239 峰翁祖一と河野通有は同門の友 maru阿弥 03/02 13:12
デジタル岩村町史は、なかなか詳しいですね。特に、峰翁祖一、九十八才説は助かります。河野通有と共に、博多にて南浦紹明に学ん だ姿がハッキリ見えてきます。
従来の84才説では、通有30代半ば、峰翁祖一は6から8才、共に学んだとするにはちと、アンバランス。
しかし、98才説でいくならば20代となり、30代半ばの通有と共に学び語り合っている姿がまざまざと見えてきます。これは、有り難い。98才までいかな くとも、90才前後まで生きていて下されは、後の美濃と河野氏の深い関わりに話しが繋がって参ります。
4243 峰翁祖一と一遍 maru阿弥 03/03 15:01
98才説で、逆に困る事もあります。
峰翁祖一が、美濃の岩村から伊予河野郷へ来られたのが、1340年代半ば。
80才代半ばとなり、ご老体にはきつすぎる。
84才説ならば、70才代前後で、ぎりぎり伊予の河野氏を教導可能な年令。
やはり、通説の方が無理が無いのか。
通有との対面も10才前後の峰翁祖一とすると、チャングムや一休さんの例も有るように、子供でも、大人顔負けの子は確かにいる。通有が、峰翁祖一の天分を 見抜き、惚れ込んだのか。
また、峰翁祖一は、北条時宗と母を同じくするとなると、毛利氏の血を引く事となり、一遍と近い関係となる。(一遍の母も毛利氏)
通有自信も北条氏の血を引くため、峰翁祖一に親しみを感じたのか。
北条氏、毛利氏の件は通盛にも伝えられていて、伊予の河野氏の禅の師匠として、美濃から、はるばる来て頂いたのか。
河野氏が、峰翁祖一にこだわった理由は、なんであろうか。
コメント