談話室ゆづき 宗教関連投稿(2008年分)
6101 河野氏から見た一遍と親鸞の大きな違い maru阿弥 02/22
10:42
一遍と親鸞は同じ浄土信仰の方でありますが、河野氏から見た場合大きな違いがあります。
それは阿弥陀仏以外を、信仰するか、しないか。一遍の場合、他の神仏も祈る。当然、大山祗の神も祈る。これは、一遍の師匠・證空の影響でありましよう。こ
の流れは念仏門の中でもめずらしく、天台宗と共存が可能となります。そのために、京に留まる事が許され、鎌倉にても布教が許されました。
これは、大通智勝仏を信仰する河野氏にとっては大切なことになります。河野氏の守護神・守護仏が認められるか、どうか。
一遍の教えは、他の神仏も祈ります。ために、河野氏にとっても安心して信仰できたのでしょう。
かたや、親鸞は阿弥陀仏一筋です。他の神仏の出る幕がなくなり、大通智勝仏を信仰する河野氏にとってはたまりません。
戦国末期まで、親鸞の阿弥陀仏一筋の教えが入って来れなかったのは、この河野氏の、大通智勝仏信仰、大山祗神信仰が原因の一つと思われます。大通智勝仏信
仰、大山祗神信仰が薄れると共に、伊予における河野氏の終わりが近づいてきます。
通の一字に対する信仰の基礎が消えてゆくのと同時に、河野氏が消えてゆきます。
播州真宗年表(真宗文化研究会・亀山御坊本徳寺内)によれば
1286年 一遍上人 印南野 教信寺に一夜逗留
1287年 〃 書写山 円教寺参詣
時宗は、播州に多大な影響
英賀の三木氏は、河野氏の出自であり始め浮穴氏と称し
1383年 通近が三木姓を名乗り、裕福な交易業者でもあった
浄土真宗は、1475~1500年頃布教
英賀道場の開創は1493年とされているので、親鸞の時代には
真宗は、播州においては布教されていなかったと考えられる
蓮如の時代となり浄土真宗は一挙に布教が進んだのではないか?
尾張、三河門徒は、親鸞の頃よりの門徒であり、蓮如とは一線
を画している三重県津市の真宗高田派専修寺などと同様に
最も古い門徒に属するのではないだろうか?
maru阿弥師のご指摘は十分に納得できる御説ではあるが
親鸞の時代においては、播州は時宗が全盛であり、しいては四国まで
真宗として布教する力が及ばなかったのではないかとも考えられる。
また、英賀三木氏については、播州真宗年表に詳細されており
司馬遼太郎の先祖は英賀門徒であったとも伝え、貴重な研究である。
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