談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4205 河野氏存亡の危機を救った美濃の禅僧達 maru阿弥 02/25 12:01
河野氏と美濃の関わりを禅宗の観点から指摘された方は、「河野郷の歴史文化研究」のリーダーだった、故・得居氏がおられました。 御健在だったら、もっともっと面白い事が教えて頂けたでしょうが。
また、一遍会の故・越智氏もかなり詳しく美濃出身の禅僧のことを研究されておられました。私はただ、このお二人の研究を美濃に焦点を当て、読み解いただけ であります。
得居氏や越智氏の御研究が埋もれていく事は心配であります。
美濃の名僧達の教導がなければ、伊予の河野氏は、はやばやと滅んでいたでしょう。
元冦の時、鎌倉武士が動揺、存亡の危機を迎えた時、南宋の禅僧達が武士の支えとなったように、伊予の武士達の存亡の危機を美濃の禅僧達が支えたものと思わ れます。
湯月城初代の、通盛さんも禅の教えを支えに生き抜いておられます。
4209 美濃禅僧と河野氏 美濃林2 02/25 21:34
man阿弥様
足利幕府は叡山・興福寺など既成の朝廷派宗派に対して、禅僧に五山を建てさせ対抗しました。
細川頼之等はそのお先手です。頼之は「人生五十功無を愧ず、花木春過ぎて夏己に中なり、満室の蒼蝿掃えども去りがたし、起きて禅榻を尋ねて、清風に臥せ ん」と海南行を吟じ、義満に都を追われ佐志久原で河野と戦い、河野は破れました。河野の再興は美濃の禅僧が義満に働きかけたのでしょうか。復権した細川頼 之に働きかけたのでしょうか。斯波に働きかけたのでしょうか。
美濃の禅僧の動きに興味がもてますね。義満も禅宗を支持していたのでしょう。
4211 美濃の禅僧も、清風に座して maru阿弥 02/26 01:02
起きて禅榻を尋ねて、清風に臥せん
頼之さん、いい詩をつくられますねー。夢想さんのおいっこ、春屋さんまで蒼バエにされておる。おもしろいですねー。
政治面での、美濃の禅僧と義満の動きは把握しておりません。ひきつづき、お題を頂きました。
精神面では、美濃の傑僧達、通盛・通朝・通尭の皆様に峻厳なる禅風を伝えられたようですが、政治的な動きうんぬんは、見えてきません。逆に、美濃の禅僧 も、うるさい蒼ばえから遠ざかり、清風に座していたものと思われます。
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