談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4301 美濃は中世創建の臨済宗の寺が日本一多い maru阿弥 03/20 17:09
美濃は中世創建の臨済宗の寺が日本一多いようですね。
日本を代表する臨済宗の名僧たちの「お籠りの地」だけあって、寺の数も日本一。
峰翁祖一の同門、宗峰妙超(大徳寺開山)は播州・赤松氏の出。
宗峰妙超の弟子、関山慧玄(妙心寺開山)は信濃源氏・高梨氏の出。関山慧玄は、後、聖胎長養(悟りの後の修行)の地として、美濃の伊深の地を選ばれる。
また、峰翁祖一・宗峰妙超・関山慧玄とはライバル?にあたる、夢窓疎石も甲斐や美濃に長年隠られる。
鎌倉幕府にも、後醍醐天皇にも、足利兄弟にも帰依された名僧たちが、共に美濃を修行の地に選ばれるとは、美濃の地は禅僧の修行の地として、魅力ある場所で あったと思われます。
4303 通高と臨済禅の移動ルート maru阿弥 03/21 22:56
南北朝の時代は、禅宗の時代と言われる位、禅宗の盛んな時代です。
伊予河野氏もなかなかにすごい。大徳寺や妙心寺開山の人物と肩を並べる人物を3人も続けざまに招いたとは、伊予河野氏の面目躍如と言える。日本の禅宗史か らもこのことは見てとれるが、当時の河野氏の勢いを伺い知る事ができる。この河野氏の日本禅宗史に残る功績を支えたのは美濃の名僧達。
美濃と伊予ゆかりの峰翁祖一。
美濃伊深ゆかりの関山慧玄。
播州ゆかりの宗峰妙超。
これだけでもう、通高の伊予・美濃・播州ルートと重なってしまう。
さらに、美濃・伊予・播州ゆかりの月菴宗光、彼のルートも通高と重なる。
さらに、月菴宗光は、大応派(南浦紹明)であるが、夢窓疎石にも学んでいる。
通高は、夢窓疎石ゆかりの安国寺の僧であるが、月菴宗光や大応派のルートも頼ったであろう。とにかく、通高の移動ルートは、当時の臨済禅の移動ルートその ものと重なって参ります。
4306 少しわかりました mino阿弥 03/22 15:51
関山慧玄開山の正眼寺は岐阜県美濃加茂市伊深町にあり。関山国師は大徳寺の末寺として妙心寺を開山。その師宗峰妙超は、播磨国守 護赤松氏の家臣浦上氏の子として生まれ大徳寺を開山。妙心寺の基礎は美濃の伊深であり、のちに美濃守護代斉藤利国の妻利貞尼(一条兼良の娘とも?)が妙心 寺に広大な土地を寄付し現在の妙心寺の規模となる。美濃が妙心寺を支えてきたとも解釈できます。「美濃国諸家系譜」79頁「通高」(予州を立出、播州に移 る。浦上備前守を頼り、これより美濃国に落ち来たり・・)。mino阿弥師、おかげさまで少しわかりました。浦上氏についての記述は「美濃国諸家系譜」以 外管見にありません。この書は、頗る誤謬の多い書などという評価もありますが、発見だと思います。夢窓国師開山の寺も美濃には多くあり国宝となっている建 物もあります。すごい、すごいと思います。一枚一枚べ-ルが剥がれてくるようで、より一層のご研究期待しております。
4307 通高と宗峰妙超と夢窓派 maru阿弥 03/22 17:06
mino阿弥様、宗峰妙超は播磨国の浦上氏の流れでありましたか。通高が浦上氏を頼る由縁でしょうか。あの、美濃から伊予へ来 て、河野通尭の師となった月菴宗光も、通尭が九州へ移動のおり播州へ移動、通尭死後も、再び播州へ移動、晩年を過ごしております。これも、同門の宗峰妙超 との縁かもしれません。そして、通高も播州・浦上氏を頼った。
もっとも、月菴宗光は山名氏の帰依を受けていますから微妙な所もありますが。
また、通高は安国寺という夢窓派の縁もありますから、夢窓疎石とも縁が深い美濃の土岐氏を頼っていったのでしょうか。通高が土岐氏を訪ねたおりに、既に河 野氏ゆかりの人物が夢窓派の僧として土岐氏の帰依を受けていたとも書かれてありますが、通高が美濃へ訪れる前から、美濃には河野氏ゆかりの禅僧の姿が見え かくれしていることも、気になりますね。
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