談話室ゆづき 宗教関連投稿(2008年分)
6105 越智氏から見た一遍と親鸞の水軍信仰 maru阿弥 02/24 16:39
大山祗の神から見ると、一遍と親鸞に大きな違いがありますが、
水軍信仰から見ると、一遍も親鸞も、熊野水軍の本地仏・阿弥陀さまを信仰している事になります。
これは、熊野水軍を信仰している一遍のみならず、全国の水軍業界の人間にはありがたい。
一遍だろうが親鸞だろうが、水軍仏・阿弥陀様の信仰でありますから。これは、越智氏の道後・石手寺にも現れている大きな特徴なんです。
石手寺の裏山は、なぜか熊野山。石手寺の山号は熊野山。
かつての本尊は、阿弥陀如来。
そして、河野通有が元冦のおり大山祗の神を勧請するまでは、石手寺にならんで熊野神社が鎮座ましましていました。
そして、この熊野山から流れ出た川は堀江へと注ぎ、久万川と言われています。
この久万川の下流には、松山地方唯一の神輿を川へ投げ込む神事が残っています。
北条の神事と同じく、水軍の祭りですね。海や川へ神輿をつける神事。
この久万川がいかに、伊予水軍には大切であったかが見えて来ます。これらを突き合わせてゆくと、越智氏の水軍信仰には熊野信仰が非常に強く、
熊野の本地仏・阿弥陀信仰が、水軍仏信仰として認識される。そうなると、一遍でも親鸞でもどちらでも同じということになるんですねー。
水軍神・熊野の本地仏を信仰するのですから。
一遍上人語録によれば
我が法門は、熊野権現夢想の口伝也
熊野権現の「信不信をいはず。有罪無罪を論ぜず。南無阿弥陀仏が
往生するぞ」と示現し給いし時より法師は領解して、自力の我執を
打ち捨てたり」と。これは常の仰せなり。熊野権現により、一遍は悟りを得たとも言えるのではないか?
ということは、熊野信仰=一遍信仰とも言える
あえて大山祇神社が見られなくとも、熊野神社が河野氏庶流の信仰の
対象となったのではないか?余談ですが、無文元選禅師のもとで一時期、妙心寺の中興日峰宗瞬が
師事していたようです。
6107 一遍と石手寺と仁王と熊野信仰 maru阿弥 02/25 10:58
そうですねー
一遍と石手寺の仁王は、ほぼ同年、仁王とにらめっこしながら
石手寺の熊野信仰にもひたったことでしよう。
水軍業界の方々も、熊野信仰で幾多の難所を切り抜けらたことでしよう。一遍の弟子・坂村真民さんも無文元選禅師の方向寺と親交が深かったようですね。
ご縁が、あるんですね。
6108 方広寺・河野宗寛師 mino阿弥 02/25 11:20
尾張一宮の妙興寺、妙心寺、方広寺の管長。足利紫山師に師事。坂村真民さんは、足利紫山師と河野宗寛師に会われた際の様子を
随筆集で述べられています。
河野宗寛師は、戦争孤児を救済された立派な方です。
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