談話室ゆづき 宗教関連投稿(2008年分)
6546 大通寺 mino阿弥 06/11 13:35
maru阿弥師
関市の大通寺に直接電話して伺いましたところ、峰翁祖一については
まったくご存じありませんでした。
また、開山は370年ほど前ということで、どうもこちらではない思います。
6547 おつかれさまです maru阿弥 06/11 15:21
そうですか…
おつかれさまです。ありがとうございました。
松山でも、河野氏ゆかりの寺寺が江戸時代以前の記録を紛失し
河野氏の歴史が風化を始めております。
戦国末期の河野宗家ゆかりの寺でも、河野氏など知らんと言われるくらいですから。
お寺の経営以外の事に関心のあられるお坊様は、なかなかに少ないようで困ります。
峰翁祖一も仏教史から消えかかっている方だと思われますので、峰翁祖一の事を御存知のお寺は、よほど研究されているお寺だと思われます。これに懲りずに、マークしてみて下さい。
大通寺や宗昌寺の文書やらも、遊びに行った時にでも聞いてみます。
もの知りのお坊様だと助かるのですが。
おそらく住職が知らないだけで、それ以前の伝承があるやもしれません。
しかし、まったく歴史には興味がなさそうで、とりつく島もありません。
先日、訪問した揖斐川町のお寺の住職も何もご存じありません。
もう少し自分のお寺のことぐらいは勉強してもらいたいと思いますが。ご存じのように、岩村町に大通寺という地名だけは残っています。
大円寺跡は、岩村城の北東、富田地区のようです。距離的にはあまり離れていません。
大昔、この大通寺地区に大通寺という寺があり、峰翁はそこで寂したのでは
ないかとも想像しましたが?
大円寺跡も「大円寺奉賛会」という名前で、「岩村町指定文化財 大円寺跡」という
少しまとめた資料がありますが、詳しいことは何もわかりません。
ましてや、大通寺のことは?また、懲りずに何らかの手かがりを見つけてみます。
6549 わかりました mino阿弥 06/11 16:38
ついに、つきとめました。
関の大通寺で峰翁祖一が、示寂されたというmaru阿弥師の情報は確かでした。
私が、聞いた関市の大通寺は、同名の全く違う寺でした。大通寺
関市神野1075
現在は、お堂のみです。
関市志津野の吉祥寺が兼務住職。伊予の大通寺の方が、わざわざ岩村町の大円寺跡を訪問されたことがあるようです。
「大円寺奉賛会」岩村の東光院のご住職が非常に詳しく教えて頂きました。
お寺さんの悪口ばかり言って反省しています。
以上、ご報告まで。
6552 岐阜の大通寺 今城 06/11 22:25
地図で「大通寺」を検索してみました。その結果、昔大通寺があった「関市神野」と「恵那市岩村町大通寺」の場所を確認しまし た。一方、地名でなく大通寺という名の寺が二つ見付かりました。一つは関市東田原、今一つは瑞浪市です。と言うことは、岐阜には昔、それ程離れていない地 域に大通寺が4つも有ったのでしょうか。これら4つは何らかの関係があるのでしょうか。大通寺だらけですね。不思議です。
大通寺という名称は、全国的にも宗派を問わず多いと思います。
田原の大通寺は、土岐田原氏開基 応永三年(1396) 住職はご存じありません
神野は、峰翁祖一が示寂した寺です。お堂だけだそうですが一度現地に行ってこようか
と思っています。瑞浪は、土岐氏関係かとも想像されますが、調べていません。
岩村の大通寺は、ご指摘の通り地名だけですが、おそらく大通寺という寺が存在したのではないかと思います。
大円寺とは異なり、私の知る限りでは、何の伝記伝承もなく取り付く島もありません。
6555 嫩桂正栄・土岐氏正法寺と同じ頃の寺 maru阿弥 06/12 15:01
おつかれさまです。よく見つけられましたねー。
関市神野ですか。ゴルフ場が多そうなところですか。
地理関係を見ていますと、なにか椿洞の了義寺を思いだしました。
関市の大通寺が建てられた頃、1350年前後、問題の観応の擾乱のまっただ中。
嫩桂正栄も、土岐氏に請われ正法寺を開いております。
この頃、月菴宗光が峰翁祖一の元へ帰ってこられ印可を受け、
亡くなられるまで師事されていたようです。
この、峰翁祖一・月菴宗光・嫩桂正栄
に共通に関連する重要人物が、後醍醐天皇の帰依を受けた、南朝の宗教的リーダー、
南朝の裏工作の禅僧・弧峯覚明。
どうも峰翁祖一・月菴宗光の周辺の人物には、南朝ゆかりの大物がちらつき、椿洞の了義寺のように南朝色が浮かび上がって来ます。
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