談話室ゆづき 宗教関連投稿(2006年分)
4340 河野氏禅の師匠の寺、美濃の関市に現存 maru阿弥 03/30 10:41
美濃の関市に河野通盛・通朝の師匠、峰翁祖一の墓がある大通寺が現存しているようです。1300年代半ば、峰翁祖一の行く所、河 野氏ゆかりの大通の名が残され、美濃の関市にも河野氏との縁を伝える寺が現存。さて、今のご住職、1300年代のゆらい御存知かどうか?
関市の大通寺は、東田原541-1に現存していました。まだ、行ったことがありませんが、田原地区は土岐田原氏が発祥した所です ので、その時代のことなら当然土岐氏との関係の内でありましょう。
4343 峰翁祖一と土岐氏の縁 maru阿弥 03/30 14:09
澤源様、ありがとうございます。関市といい恵那といい、まん中がちょうど土岐市でありましょうか? 峰翁祖一一行は美濃周辺を広 範囲に回られていたのでしょうか。峰翁祖一の墓が関市にあると聞きますから、是非、美濃と河野氏の関係をお聞きしたいものです。土岐田原氏が発祥の地とい うことは、峰翁祖一と土岐氏の縁も知りたいものです。
恵那・大円寺に行く前に、関市・大通寺に寄らなくてはならなくなりました。
4345 maru阿弥師、よく探されましたね。 mino阿弥 03/30 15:26
また澤源師は、この投稿欄よく見てますね。恐れ入りました。関市東田原の大通寺をヤフーで確認しました。近くに蜂屋、肥田瀬もあ りすべて土岐氏です。土岐氏は、現在の土岐市より澤源師在住の瑞浪市が拠点です。一宮市の妙興寺も開山南浦紹明一世峰翁祖一。河野宗寛師は妙興寺、方広寺 (無文元選開山)の住持。建長寺は明治23年5月方広寺から「半僧坊」を勧請。関のお寺はゴルフ場の近くですが、一度訪問してみたいと思います。maru 阿弥師の歴史探訪ご旅行には、ぜひお供させて頂きます。
4347 土岐氏と峰翁祖一と河野氏 maru阿弥 03/30 17:59
mino阿弥様、ゴルフ場ヘ行かれた折、峰翁祖一様におよろしくお伝え下さい。伊予の大通寺も健在であります。大通寺も全国的に 様々に有りますから、関の大通寺が河野氏ゆかりの大通寺で無いかもしれませんが、峰翁祖一が河野氏・湯月城の大恩人であり、その墓が土岐氏縁りの場所に現 存している事は事実です。
土岐氏は瑞浪市が拠点ですか。恵那へ向かう峰翁祖一にとっては、土岐氏の所領は山へ向かうベースキャンプ的場所であったのでしょうか。ひょっとして、土岐 氏と峰翁祖一が同時に移動していましたか?
峰翁祖一と方広寺(無文元選開山)との繋がりも、見えてきそうですか?
峰翁祖一の移動する所、河野氏ゆかりの禅僧達も修行と警護を兼ねて随行していたことでしょう。
中世における土岐郡は、現在の瑞浪市・土岐市・多治見市の範囲でありまして、因みに1月23日に土岐郡笠原町と多治見市が合併し 多治見市となり、これで由緒ある土岐郡が消え去り、唯一土岐市の地名が残ったことになります。
また、奈良の飛鳥池遺跡から平安期の木簡が大量に見つかり、その中から700年代初期には「ときのこおりえなのさと」の記述から、恵那市も以前は土岐郡の 内であったことが分かっています。当然、大円寺の頃は恵那郡ですし、岩村に栄えた遠山氏の頃も、土岐の地頭と比肩するものであったのでしょう。
4352 大応派の「ときのこおり」一体の教化 maru阿弥 03/31 17:51
澤源様、有り難うございます。「ときのこおりえなのさと」でありますか。恵那の大円寺は土岐の大円寺でもあった訳ですか。
大応派の峰翁祖一は、晩年を「ときのこおり」一体の教化に努められていた姿が見えてまいりました。
コメント
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